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木更津市畑沢2丁目 土地
地積:207.07㎡(約62.63坪)
私は時計を趣味にしはじめたころから、懇親会や記事の下にあるコメント欄のような場所で、36mmのGMTについてうるさいぐらい力説していた。いつも人々は優しく肯定しながら私から距離を置き、手元にきらめくサイドキック(相棒)、つまりバットガールのほうへと去って行ったものだ。GMTはかつて手首の太いパンナム航空のパイロットが使っていたもので、40mmが妥当なサイズだというのが定説になっている。だが、そんなことはどうでもいい。確かに、私のお気に入りの時計のひとつには、60年代半ばに作られたロレックスの1675 GMTがある。そして、ロレックスコピーどのブレスレットよりも腕になじむのでレザーストラップをつけている。しかし、この時計はまったくの別物であった。
その時計はロルカ モデル No.1という。24時間表示を備えたステンレススティール製の固定ベゼルは、ロレックスのエクスプローラー IIを彷彿とさせる。文字盤の中心からはミニッツインデックスが放射状に長く伸びており、きれいなブルズアイを形成している。私は時計に関する記憶を探ってみた。グライシン エアマンのヴィンテージに少し似ているだろうか? 現行のモデルでいうと、どこかローラン・フェリエのガレ トラベラーのようでもある。しかし、いろいろと比較した結果、この時計は天才的な発想に基づく唯一無二のプロダクトであるという結論に達した。
その発想の主は、現在ブルックリン地区に住むカナダ人シンガーソングライター、ジェシー・マーチャント(母親がスイス人なのが決め手)である。マーチャントのツアーミュージシャンという職業が、このモデルの開発のきっかけとなった。彼はヨーロッパと北米のツアーに参加するために、GMT機能を搭載し、200mの防水性能を備えた、スタイリッシュで洗練されたデザインの時計を望んでいた。ホテルのプールに入り浸りながら、幾多のブックツアー(各地をめぐるプロモーション)を乗り越えてきた私にとって、マーチャントの条件はまさに理想的であった。私は彼に会わなければならない。この時計を、身につけなければ。
数週間後、私はイーストビレッジのモロッコ料理店で彼の向かいに座ってラムのタジンを食べながら、恒例となった午後7時のマティーニを飲み、その手首にはロルカをつけていた。ダイヤモンドカットが施されたインデックスがキャンドルの光に照らされて輝き、ライスビーズのブレスレットは上品でしなやかな印象をふりまいていた。この時計は、すべてが完璧に近い。マーチャントが持ってきたGMTは、ブラックダイヤルとシルバーダイヤルの2種類。シルバーには控えめなエレガンスが漂うが、老眼の私にはブラックダイヤルの方がわずかに見やすく見えた。
マーチャントにこのGMTモデルに影響を与えた時計について尋ねると、まるで百科事典のように複雑な答えが返ってきた。思ったとおり、究極のデザインに影響を与えた時計はなかったようだ。その代わりに、彼は1950年代と1960年代の時計について、大学院で行う研究レベルの深掘りを行なってくれたのである。例えば、ニーナ・リントモデルのクロノグラフに見られたフラットベゼルやRef.166.010のオメガ シーマスター、IWC マークXIIの2フックエンドリンク、偉大なロレックス Ref.1600に、ヴィンテージのジャガー・ルクルト メモボックスなど。そして、GMTのシルバーインデックスバージョンに影響を与えた、祖父の所有するリチャードの懐中時計についてだ。ウォルト・ホイットマンを引用して言わせてもらうなら、ロルカ モデル No.1には“contains multitudes”……、すなわち“多くの要素が含まれている”。
“マイクロブランド"という言葉は、"オート・オルロジュリ(高級時計)"の対極にある呪いの言葉のように語られることがある。しかしここ数年、既製品のムーブメントを使用することで2000ドル以下に抑えた、独創的で素晴らしい時計を目にするようになった。 これら傑作たちは、レーザーの焦点のように鋭いビジョンを持つ唯一無二のクリエイターから生み出されている。シカゴのブランド、オーク&オスカーでチェイス・ファンチャーが作るサンドイッチダイヤルや、グラスゴーのアンオルダイン(anOrdine)を手がけるルイス・ヒースがエナメル細工で描く、華麗な極彩色の世界を思い出して欲しい。マーチャントの時計もまた、そのような孤高の作家性を体現した例のひとつといえるだろう。









































